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■日乗上人日記に見るラーメンの起源
 日本でラーメンが庶民の間で食べられるようになったのは、明治43年の東京、浅草の来々軒が最初と言われていますが、日本で最初に食べたと言われるのは、水戸黄門(正式名、水戸光圀公)。
 水戸光圀公は34才で水戸藩藩主となり、その非常に高い手腕から「名君」と慕われ、将軍綱吉の時代の幕府を支えた一人としても知られています。(実は、少年時代は手のつけられないヤンチャだったとか、将軍の「生類憐れみの令」を守らず、牛肉や豚肉を食べたり、犬の皮を綱吉に献上したりしたというエピソードもあり、実は「型破りな傾奇者だった」という点は興味深い)。
 18歳のとき、中国の前漢時代に司馬遷が書いた「史記」を読んで、突然、儒学にめざめ、国の歴史をまとめる書物を編纂(へんさん)事業を始めた
 34歳で水戸藩主を継いでからは、水道の設置・寺社改革・蝦夷地(えぞち)探検や国史編纂にさらに力を入れたりと、名君ぶりを発揮していた。
 儒学を重んじた光圀公は、1665年、長崎に亡命していた明国の儒学者「朱舜水(しゅしゅんすい)」を水戸藩へ招き、いわば、家庭教師とした。
 朱舜水は多方面にわたり尽力し、自らうどんを打つほどの無類の麺好きであった光圀に、中国の麺を紹介したとのこと。
 日乗上人日記によると、1697年6月16日、光圀は朱舜水の伝授した麺を自ら作って家臣に振舞っています。そして、できるだけ美味しく食べるのに、必ず五辛を添えるように勧めました。五辛とはショウガ、ニンニク、ニラ、ネギ、ラッキョウのことで、中国では、五臓の気を発するといわれています
 なお、当時のラーメンは、れんこんの澱粉から作られた「藕粉(おうふえん)」というものが使われました。
 これは、古来、唐の時代から麺を打つ時のつなぎとして使われたきたもので、日本そばでいうところの小麦粉に該当するものです。
 この謂われに則して、茨城では「水戸藩ラーメン」が作られ、庶民の味として普及しています。
 また、この記録に基づく6月16日を記念して、全国中華料理生活衛生同業組合連合会では、「毎月16日はラーメンの日」として、普及活動を続けています。

※この説に、異論が出たのは、右のように2017年のこと。
 小麦と水、そして「けん」(※)と呼ばれる炭酸ソーダを使って手打ちして作ると書かれている。「中華麺」は小麦粉にかん水を加えて練り合わせたものと定義されている。「けん」はまさに現代でいうかん水の成分で、「経帯麺」は「中華麺」といえる。そして、室町時代の僧侶・亀泉集証の『蔭涼軒日録』の中に、1485年に「経帯麺」のことを知り、1488年に来客に振る舞ったという記載があることがわかった。これは、光圀の1697年から200年以上もさかのぼる史実となる。ただし、経帯麺」は「中華麺」のルーツではあるが、「ラーメン」ではないという人もいる。
 水戸光圀が食したものには「火腿」という中国ハムが使われていたという説もあり、この点では現代のラーメンに近いかも知れない。


●実は起源は別にあった?
 これまで、長きにわたって有力とされていたのは「水戸黄門」こと徳川光圀が日本初という説。しかし、それを覆す新説が2017年7月に浮上しました。
史料『蔭涼軒日録(おんりょうけんにちろく)』において、黄門さまの時代からさらにさかのぼること200年、室町時代に“ラーメン”にまつわる記述があったとか。京都の僧侶が来客に『経帯麺』(「かん水」を使った麺=中華麺を使っているためラーメンと定義)をふるまったとの記録が残されていたそうです。

【経帯麪について】
裏付けとなる本は2つあります。
①「蔭凉軒日録(いんりょうけんにちろく)」
②「居家必要事類(きょかひつようじるい)」

【蔭凉軒日録について】
蔭凉軒日録とは、足利義満が相国寺鹿苑院内に設けられた蔭凉軒に住んでいた僧侶が記録した日記です。その日記に以下のことが記されています。

●1485年(文明17年)5月17日(昼の斎膳のよう)
私は『居家必用(居家必要事類)』を調べた。麺食品には、水滑麺・索麺・経帯麺・托掌麺・紅絲麺・翠縷麺などがある。

●1488年(長享2年)2月1日(昼の斎膳のよう)
永徳院春陽(景果)が対面に来た。勝定院桃源(瑞仙)老人も来たので、酒宴を開き、経帯麺を食べた。品の字のように車座になって座り、雑談して時を過ごした。

●1488年(長享2年)5月16日(「点心」おやつの感じ)
訪問していた相国寺長老横川を留め、着物を脱いで枕に伏し、茶を啜り、雑談した。経帯麺を拵え、勧めた。禁酒して、茶だけ飲んだ。與三に相伴させた。そのときの歌は数曲で終わった。茶で酒の代わりとした。
【居家必要事類について】
book-06.jpg居家必要事類は、中国で作られた書物で、中国の元王朝末期(1300年代半ば)頃に書かれたと言われ、衣食住にまつわる百科事典のようなものです。居家必要事類は、全20冊あり、13冊目が「飲食」にまつわることが書かれています。この居家必要事類を中国に渡った日本人がどこかのタイミングで持ち帰ったと言われております。

●経帯帯(はばひろ切麪)
一番篩いの白麪(粉質が細かくて白い良質の小麦)二斤当たり、碱(炭酸ソーダ)一両を細かに研って新しく汲んだ水でとき、麪に和わせて、あとで捍べるときに麪剤よりやや柔らかめに捏ねる。それを拗棒で百余回拗し、二時間ほどねかせて、また百余回拗す。そこれから(こんどは拗棒にまきつけて)ごく薄くなるまで捍べる。それを経帯(書物が巻物であった時に巻いてとめた平紐で、その平紐のように巾広に麺を切るのでこの名がある)のように切り、煮立った湯に下す。熟ったら冷水に入れて散らしすすぐ。かけ汁は任意である。
引用:中国の食譜(東洋文庫/1995年)

-新横浜ラーメン博物館WEBサイトより-

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